第4回「地域無形資産の伝承」のようすを紹介!

2021年2月15日月曜日

4期

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第4期 沸騰地熱塾第4回
「地域無形資産の伝承」

第4期沸騰地熱塾の第4回「地域無形資産の伝承」が1/13(水)に開催されました。

第4回は、地下資源や自然景観などの「地域の宝」を、昭和の先人たちが、まちづくりにどのようにいかしてきたかについてお話いただきます。

チラシはこちら↓

表面

当日のようす

今期は、オンライン開催も実施してされています。参加者は、23名(会場9名、オンライン14名)でした。なお、COVID-19対策として、今回は講師の伊藤香苗氏はオンライン参加となっています。当日の様子を抜粋してお伝えします。

主なトピックス

1 なぜ調べるのか

2 松川地熱発電所〜八幡平温泉郷開発経緯

・旧松尾村の総合計画と松川地熱発電所開発経緯

・八幡平温泉郷開発経緯

・農業復興への挑戦

3 過去から未来へ(現在の八幡平市について)

1 なぜ調べるのか

八幡平市の風景

現在は過去の重なりの上にあり、先人の「選択」と「行動」の結果が今の生活空間へと繋がっています。八幡平市の上空からの写真を見ると、昔の未開の原野から美しく開発された街であることがわかるのです。「なぜ、その選択がなされたのか」「どうして事態は動いたのか」「どのように、長い時間は繋がれていったのか」など、社会の構造をよく知る必要があるので調査をしていると伊藤さんはお話しされていました。

調査方法は「多面的調査」。

多面的調査 = 基本:文献調査 + 当事者や周辺の方への聞き取り調査

真実は1つではないので、多面的調査を実施することで、できるだけ多面的に事象を捉えられるようにしていると話されている点が印象的です。

2 松川地熱発電所〜八幡平温泉郷開発経緯

松川地熱発電所の冷却塔

・旧松尾村の総合計画と松川地熱発電所開発経緯

八幡平市に暮らしている方ならご存知の方も多いでしょうが、旧松尾村が地熱蒸気を発電に利用した歴史があります。「どうやって旧松尾村は、開発工事を長時間持続し、自分たちの理想とする開発を実現していったのか」という経緯を、詳しくお話いただきました。


聴き入る参加者たち

昭和27年に温泉井を掘っていたところ、予期せぬ「蒸気」が噴出。当時の村長が蒸気で発電ができないかと閃くも当初は周囲から理解を得られませんでした。しかし東北工株式会社(現在の日本重化学工業株式会社)の協力を得て地道な調査等を通じて、事業化への道が拓けていきます。そして昭和41年10月8日に松川地熱発電所が運転を開始。「事業者」「自治体」「住民」が協力し合い困難を乗り越えながら、日本で初めての商業地熱発電所の運転を開始しました。

地域振興は、「自治体」「住民」「事業者」などの協力があって初めて成立するものです。

自治体側の取り組みとしては、現代と比べてまだ観光開発への関心が低かった昭和20年代時点で、旧松尾村は将来の観光需要増大を見越し観光立村を目指していました。昭和26年に茶臼岳にヒュッテができ、昭和27年には竜ヶ森スキー場がオープンし人気を博します。昭和35年に松尾鉱山が八幡平観光株式会社を設立し、積極的に観光に乗り出していきました。色々な計画が一つずつ積まれて観光立村へと向かっていきます。

事業所側の観点の話は、関係者へのヒアリングや資料をもとに、松川地熱発電所を開業する約10年のお話をしていただきました。事業拡大等のために当時の東北工株式会社の富岡社長は、地熱発電の機会を探っていました。しかし、当時としてはまだ地熱発電は成功例のない未知の存在。富岡社長は、松川なら発電に使える良質な蒸気がでるのではないかと社運をかけた果敢な挑戦に挑みます。失敗、困難、資金難などがありましたが「できると思ってやればいつかできる」と周りを鼓舞し、昭和39年1月14日に本格的な発電用の第一号井で蒸気が奮起しました。

講演では記録映像を交えながら解説いただきました。地熱発電には、地域自治体との連携が重要であることがわかります。松川地熱発電所の開発は、松尾村や地域の方の全面協力があったことから考えるに、小さな村として相当の覚悟を持って挑んでいたことが窺い知れます。

・八幡平温泉郷開発経緯


岩手県第一次観光開発基本計画として、十和田八幡平国立公園を中心とした一大リゾート計画が立ち上がります。遠方からの観光客の招致、その入り口として温泉郷の開発が期待されました。このようは背景もあって、引湯管を約5キロ引き熱水を麓の金沢地区まで下して温泉水等で利用した八幡平温泉郷が誕生します。岩手県全体から期待感があった温泉郷であることがわかります。

観光へ力を入れた要因の一つとして、松尾鉱山の斜陽、昭和44年の閉山も関係しています。鉱山の衰退の影響もあって、自治体や地元の方自ら観光に乗り出した歴史がありました。当時の村長は「日本最後のむらでゆく」という姿勢で、景観に強くこだわり、ふるさとを守る村政を一貫して貫いたのです。

・農業復興への挑戦

昭和55年には、第二期水田利用再編事業として熱水ハウス事業を展開。新農業改善事業を導入しました。

3 過去から未来へ(現在の八幡平市について)

これまで紹介した内容が時を経てどのように変化したかを中心に解説いただきました。熱水ハウス事業は、現在は八幡平スマートファームが新しい農業に挑戦することに活用されています。八幡平地熱染色でも蒸気を活用し、染色作品で八幡平の自然を表現する試みがされています。

八幡平市としては、地熱発電の第二段階を迎えました。松川地熱発電所や引湯管等の更新や修繕が重大な任務となっています。また、第二の地熱発電所として、松尾八幡平地熱発電所が2019年に誕生。豊かな自然とエネルギーを活かし、地産地消のまちを目指している他、2050年ゼロカーボンシティにも取り組んでいます。

講演の後には質疑応答。会場やオンラインから活発な質問・意見が飛び交いました


歴史を紐解くと時代の違いは感じられますが、一方は時代を超えても変わらない何かもあります。変わらない大切さはキーワードと言えるでしょう。例えば、環境調和型の村の開発、官民地の共同、リーダーによるビジョンの創造と共用、持続可能な経済地域の模索等。まだ見ぬ未来に向けて、大切な地元の資源をいかに活用していくか、学びの深い回でした。

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